ずぶぬれて犬ころ 公式サイト 住宅顕信とは?

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 1961年岡山県岡山市生まれ。
 中学卒業後は下田学園調理師専門学校に通いながら、レストラン等で働いたのち、19歳で岡山市の清掃業に採用。この頃から、自由律俳句(5・7・5の字数にとらわれない俳句)と宗教に興味を持つ。
 1983年、22歳の時に京都西本願寺で得度、浄土真宗本願寺派の僧侶となり、法名を顕信とする。この年、自宅に無量寿庵という仏間を作る。また、同年、1歳年下の女性と結婚。しかし、1984年23歳の時に、急性骨髄性白血病を発症し、岡山市民病院に入院。入院中に長男・春樹が誕生するが離婚し、以後、病室で育児を行う。入院中、俳句作りに没頭。全国に句友もでき、俳句誌にも投稿。病状が回復し、一時退院出来たこともあったが、回復するには至らず、1987年2月7日没。
 生前残した俳句は281句。


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1961年  3月21日、岡山県岡山市にて父勝元、母恵美子の長男として生まれる。
       本名は春美。翌年、妹恵子が生まれる。

1973年  岡山市立石井中学校に入学。漫画を描くことが好きで、
       将来は漫画家になりたいと思っていた。

1976年  石井中学校卒業後、下田学園調理師学校に入学。同時に岡山会館に勤務。
       5歳年上の河本ヨキエと知り合う。この頃から、詩書、宗教書、哲学書に親しむ。

1980年  岡山市役所環境事業部第二事業所に採用。仕事の傍ら仏教書を読み、
       この頃、自由律俳句も詠み始める。

1983年  京都西本願寺にて得度、浄土真宗本願寺派の僧侶となる。法名顕信。
       1歳年下の女性と結婚。新婚旅行は松山に行き、正岡子規の句碑や
       山頭火の一草庵を訪れる。また、自由律俳句の先達で夭折の俳人でもあった
       野村朱鱗洞の墓参りもした。自宅の一部を改築し無量寿庵という仏間を作る。

1984年  2月23日、急性骨髄性白血病のため岡山市民病院に入院。6月14日、長男春樹誕生。
       離婚。春樹は住宅家が引き取り病室での育児が始まった。10月、自由律の俳誌
       「層雲」(そううん)に加わり、層雲事務室の池田実吉に師事する。

1985年  「層雲」2月号に初めて2句掲載。6月11日、岡山市役所退職。
       12月、句集「試作帳」を自費出版。
       この頃、藤本一幸の自由律俳誌「海市」(かいし)に参加。

1986年  4月、病状が少し安定し一時的に退院。岡山リビング新聞のボイス欄で
       句会を呼びかける。松本白路、西山典子とともに「岡山十六夜社」を結成し、
       5月11日、第1回句会を開催。6月26日再入院。

1987年  2月7日、死去。満25歳10ヶ月。

1988年  2月7日、彌生書房より住宅顕信句集「未完成」出版。
       以後、様々な媒体で住宅顕信の俳句が取り上げられる。

1993年  岡山市京橋西詰旭川緑地に句碑「水滴のひとつひとつが笑っている顔だ」建立。

2002年  香山リカ著「いつかまた会える―顕信:人生を駆け抜けた詩人」
       (中央公論新社刊)出版。住宅顕信ブームが起きる。

2003年  岡山の山陽新聞にて横田賢一執筆による
       「生きいそぎの記―夭折の俳人 住宅顕信」が3か月に渡って連載。
       後に2007年「生きいそぎの俳人 住宅顕信―25歳の終止符」としてまとめられ、
       七つ森書館から出版。文庫本・住宅顕信句集「未完成」(春陽堂)出版。

2018年  7月、映画『ずぶぬれて犬ころ』完成。11月、岡山映画祭にて初上映。

(参考:住宅顕信句集「未完成」(春陽堂))

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